自己研究(頭痛経験者なのでは?)
夏頃からもしやと思っていたことがある。 もしかして、私は頭痛になったことがあるのではないか? これだけ読むと何言ってんだ感あふれすぎだけど、私はこれまで自分を頭痛にならない人だと思っていたのだ。 だって頭が痛いと感じたことがないし。 生徒~学生の頃はよく偏頭痛になっていたが、それも「痛い」という感じではなかった。 「眼球をゆっくりじわじわと押し込まれるように圧迫される感じ」とか「こめかみや眉間のあたりがやたら圧迫される感じ」とか、そういう感じだった。 そういうわけなので、きっと頭痛と名がついているだけで必ずしも痛いとは限らないんだろう、めまいや吐き気などの症状もあるし、頭痛の症状が出ない人もいるんだろう、と思っていた。 ところで、私は近年、いわゆる「気象病」というものに悩まされることが増えている。 低気圧で頭痛がしたりするあれだ。 私は例によって頭痛はしないが、気圧の変動で頭痛がするという方と互いの症状について話していたときに「こめかみがギューッと圧迫されるような感じで痛い」と聞いておや?と思った。 「ギューッと圧迫される感じ」といえば、偏頭痛のときのあの感じだ。 もしかしたら、この不快な圧迫感を一般的には「痛い」と表現するのでは? 今まさに、気圧の急な上昇で眼球まわり・こめかみ・首のうしろ・後頭部あたりに不快な圧迫感を覚えている最中だけど、もしかして、これがいわゆる「頭痛」というやつなのでは? 仮にそうだとするなら、私は痛みを感じにくいということなのか? と思ったがそれはない気がする。 少なくとも、切った・ぶつけた・刺さった・擦ったなどの痛みに対してはかなり敏感な方だと思う。 そういえば、偏頭痛のときもそうだったが、腹の不具合(?)で医者にかかったときにも 「かなり痛いでしょう」 と言われても 「不快だし変な感じはあるけど痛いって感じではないですね…」 という感じだった。 幼児の頃は腹が下って医者にかかっても「お腹が痛い」というのがどういう感じかわからず、痛いかと訊かれても「わからない」と答えていた。 身体の表面の痛みには敏感だが内部の痛みには鈍感って感じなのかな。 いや、圧迫感などしっかり感じ取っているし、身体の表面、つまり肌で感じるタイプの痛み(切る・ぶつける・刺さる・擦る)だけを「痛み」と認識してるのかな。 例えば、紙で指先を切ったときのようなシュパーッという感覚を腹の中でも感じたとしたら、それは痛みとして認識するんじゃないかな。 なんとなくわかった気がする。 痛みとして認識している範囲がちょっとせまいんだな。 そしてその範囲が皮膚で感じるものに偏っている。 というわけで、たぶん私も頭痛を経験しているし、現在進行形で頭痛中なんだと思う。 でもやっぱり「痛い」って感じではないんだよなあ。 痛いと思ってないのに頭痛って、なんかへんだなー。
自己研究(食器を洗うのがしんどい)
食器を洗うのがしんどい。
「一人暮らしで出る洗い物なんてたいした量じゃないんだし、その都度洗えばいいじゃない」
よく聞くフレーズである。
でもそうじゃない…そうじゃないんだ……
このしんどさの原因には「ねば」があると思う。
私のしんどさの根底には、「こうせねば」と思い込んでいる内容が私自身の「たい(こうしたい)」と合致していないということがあると思う。
食器洗いに関する私の「ねば」は「その都度洗わねばならない」だ。
そして「たい」の方は「一気にたくさん洗って達成感を得たい」だ。と、思う。
「ねば」の方は、こどもの頃に母親に教えられ、ずっとそう思い込んできたものだ。
「たい」の方は、昨日洗い物をしていてやっと気づいた。
このところ食器のその都度洗いをしんどいながらも頑張っていたが、洗い終える度になんとなくモヤッとした気持ちになっていた。
その「モヤッ」について考えていたら、少量の食器を洗い終えた時に自分が「なんだかものたりないなあ」と思っていることに気づいたのだった。
思えば私は昔からエンジンがかかるのが遅く、やり始めたら長く続けないと効率が悪くなるタイプだった。
細切れ作業が苦手なのだ。
できないことはないが、猛烈に効率が落ちてストレスになる。
食器のその都度洗いは細切れ作業だったのだ。
衣類の洗濯だって一週間分まとめて洗っているんだし、食器もまとめ洗いの方がよかろう。
というわけで、今後は一日分をまとめて洗おうと思った。
夏どうしよう。やっぱ食洗機買うかな。
業務スーパーなしでは生きていけない
インスタント味噌汁の買い置きを切らしてしまった。
寒いなかをのそのそ歩いて帰ってくるので、できれば冬の晩ごはんにはあったかい汁物がほしい。
しかし平日に味噌汁を作ると、火にかけている間に気絶するように寝落ちていたりして命に関わりそう感があまりにも強い。
近所のコンビニに行く気力もない。
ピンチだ。
そんなときは顆粒状の鶏ガラスープと業務スーパーの冷凍野菜の存在が本当にありがたい。
器に冷凍ほうれん草を入れ、水を注ぎ、鶏ガラスープと胡麻油を適当に加えてレンジでチンするだけでなんかちゃんとしてそうっぽいスープになる。
さらに業務スーパーの大容量サラダチキン的なものをゴリゴリ切って加えたりしてもいい。
冷凍きのこを足すのもいい。
冷凍小松菜とかも合いそう。
冷凍アスパラなら鶏ガラよりもコンソメがよさそうかな。
ベーコンも足したりして。
うーん美味しそう。今度やってみよう。
そんな感じなので、私はもう業務スーパーのない生活は送れないのではないかと思う。
もし将来引っ越すことになったら一階に業務スーパーが入っているところに引っ越したい。
ポーランド映画『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』を見た
先日ポーランド映画祭で見逃した『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』をDVDで見た。
1944年のワルシャワ蜂起の話だ。
【タイトルが…!】
まず邦題へのイチャモンだが「なんか合わない!」
ごく初期にラブコメ映画かな?と思うようなシーンがあるが、全編通してそのノリでラストがポーランドばんざーい!とかいう明るく娯楽的な作品ならこのタイトルでも何とも思わないが、悲惨に次ぐ悲惨、死に次ぐ死…という感じの作品にこのタイトルだと、なんか、エーッ?!と思ってしまうのだった。
原題は『WARSAW44』(たぶん)なので、それでいいじゃないか…。
いや、ワルシャワで1944年にどんなことが起きたのか、日本ではあまり知られていないためにこういう感じの邦題にしたのかな?とは思うけど。
【疑問点】
前回も書いたが、他国の歴史を知らな過ぎて、他国の戦争映画を見ると意味がわからない部分がたくさん出てくる。
今回事前にポーランド近代史についてサラッと調べてから鑑賞したが、それでもいくつか疑問があったのでそれについて書こうと思う。
こちらはストーリーの把握のために参考にさせて頂いたサイト。
疑問① カラがシュテファン(主人公)を好きになったきっかけは?
これがまっっっっったくわからなかった。
というか、上記リンク先の記事を読むまで、カラがシュテファンを好きだったということ自体わかっていなかった。
なのでシュテファンとカラのセックスシーンは「明日をも知れぬ命と思ったらなんか盛り上がっちゃったのかな」くらいに思って見ていたし、カラがアラ(ヒロイン)の抜け駆けを責めるシーンでは「カラさん何を怒ってるんだろう?」と思って見ていた。
そしてアラの抜け駆けにはそういう意味だと気づいていなかった。
報告しないで持ち場を離れたらまた怒られるもんな~、としか。
というかカラはごく初期にシュテファンのこと酷評してなかったか?
「彼はシャイじゃなくて野暮」みたいなこと言ってたのに。
ツンデレってこと?
恋愛描写について読み取れないのは私がアロマンティックに該当するからかもしれないと思う。
とにかく、どのへんの描写でカラはシュテファンのことを好きなんだな、と判断するものなのかが知りたい。
わかる人はぜひ教えてほしい……
アラとシュテファンが互いに想いを寄せているというのは読み取れた。
疑問② ポーランド人を貶めたりかばったりするドイツ兵
ポーランド側の捕虜になったナチスドイツの兵の台詞が不思議だった。
捕虜として看護されている時には「ポーランド人はバカだ」「ドイツ人の怖さを知らんのか」と散々罵っていたのに、病院からポーランド国内軍(たぶん)が撤退してドイツ軍が到着すると「手厚く看護してもらった」と言いポーランド人をかばっていた。
これは色々調べてみて、もしかしたら到着した部隊がカミンスキー旅団やディルレヴァンガーだったのかな、と思った。
カミンスキー旅団とディルレヴァンガーは素行が悪いことで有名だったそうで、ワルシャワでは戦闘よりももっぱら虐殺・略奪・婦女暴行を行っていたそうだ。
捕虜のドイツ兵がポーランド人をかばったのは、彼もあまりに残虐なのはちょっと……と思ってたということだったのかな。
疑問③ ソ連軍が来ることを望む人
アラが逃げ込んだ地下壕に、ソ連軍が来ればいいのに的なことを言っている人がいた。
ポーランドから見たらソ連もナチスドイツも敵だと思って見ていたのでよくわからなかったが、蜂起の時点ではワルシャワはナチスドイツ占領下で、しかもソ連軍が蜂起を呼びかけたんだな。
ソ連軍の協力を期待しての蜂起だったから、ソ連軍が来ることを望んでいたのか。
結局、到着したソ連軍は地下壕に手榴弾を投げ入れたけど!
ソ連軍が裏切った(?)という情報は市民には伝わってなかったのかな。
疑問④ ポーランド人からユダヤ人への差別は描かれていたか
戦中のポーランドにも反ユダヤ主義はあったそうなので、それが描かれているか気になった。
もしかしてそうかな?と思うシーンはあるにはあるがあまり自信がない。
レジスタンスがナチスドイツの拠点を制圧した際にユダヤ人捕虜達を解放している。
そこで、前年のワルシャワ・ゲットー蜂起(ナチスドイツに対するユダヤ人の蜂起)の生き残りと思しきユダヤ人が「一緒に戦わせてくれ」と言う。
その時のレジスタンスの態度がもしかしたらそうなのかなとは思うが…よくわからん。
疑問⑤ 主人公は生き延びたのか?
描かれてはいないけど、アラはレイプされて殺されてしまったんだろうと思う。
よく見えなかったが、シュテファンが見た病院の死体の山の中にアラもいたのかも。
病院に残るアラの前に現れたドイツ兵は、もともとワルシャワに駐屯していた部隊の人ではなく、後から投入された部隊の人(カミンスキー旅団かディルレヴァンガー)なんじゃないか。
しかもアラに投げキッス(?)してる。
虐殺・略奪・婦女暴行を主に行っていた部隊の人が性的なサインを送ったということは、そういうことなんじゃないかなと。
作中に婦女暴行に関連するシーンは2つほどあったと思うが、それらを伏線として(アラもきっと…)と想像させる作りなのかな。
ラストに出てくるアラはシュテファンが思い描いた幻だと思う。
シュテファンの生死はよくわからないなと思うが、私は死んでしまったと解釈している。
シュテファンを見付けたドイツ兵はキッチリ撃っているように見えたし。
このシーン、シュテファンが「丸腰だ」と申告してきたドイツ兵を射殺したシーンと逆の構図になっているんだな。
シュテファンについては、
パターン1:撃たれてその場で死んだが「川へ行かねば」という意思が対岸へ辿り着いた自分の幻を見せている
パターン2:撃たれたがなんとかその場を脱し川へ、対岸へ渡り切ったところで死亡
こんな感じかと思ってる。
アラの幻はお迎え表現みたいなものなのかなと。
そんな感じで大変しんどい映画だった。
でもラストの燃えるワルシャワの映像はとても美しかった…
ラストの街が燃える映像、夜空の黒に炎の赤、そして影の青が美しい。自分たちの街が燃える様を美しく見せていいのか…と思ったが、悲惨な映像だけが悲しみの描き方ではないのだな。美しい映像と美しい音楽にのせて自分たちの街が燃える様をただ眺めるなんて、こんな悲しいことがあるか。
— モグラ (@mog_3o3) 2018年12月3日
ポーランド映画『ヴォウィン』を見た
先日ポーランド映画祭に行ってきた。
今年はポーランドが独立を回復してから100周年ということで、「名作映画から見るポーランド史」とというテーマのラインナップだった。
戦争の話を避けて近代史は語れないと考えているので、とにかく戦争関係のものをと思い『ヴォウィン』を見ることにした。
内容は、一言で言えば「民族相互虐殺」だ。
主にポーランド人とウクライナ人が互いに残虐な方法を用いて殺し合う。
ヴォウィンというのは、第一次世界大戦の終結に伴って独立したポーランドに組み込まれた土地だそうだ。
元はウクライナ人農民が多く住んでいたため民族間の対立が強まり、民族主義的な気運が高まっている…という状況から映画は始まる。
以下しばらくネタバレなしの感想を書き連ねてみる。
(1)人間こわい
不穏な空気をはらみつつもまだ平和だった頃、幸せそうで皆はしゃいでいる結婚式の描写が、ラストの虐殺に次々と重ねられていく様は、平和と虐殺、幸福と不幸とのギャップを際立たせると同時に、平和も幸福も紙一重の危ういバランスの上に成り立っているのだという緊張を感じさせる。
冒頭の結婚式では皆で一枚の写真におさまった顔なじみの隣人同士で殺し合う、しかもあんなに残虐な方法で…と思うと、戦争こわいとか民族主義こわいとかよりも「人間こわい」と思った。
それから、私は自分が多重マイノリティだという自覚があるので、私もこんなふうに排除されることにならないとも限らないんだよな、と思ってうすら寒い気持ちになった。
同時に、もしも自分が同じ状況に置かれたらどうだろう、とも思った。
報復合戦に参加して残虐行為を働かないと言い切れるだろうか……
(2)虐殺シーンについて
虐殺シーンについては、戦争映画を見慣れているので平気だろうと思っていたが、ウワッと思うようなかなり残虐な殺し方が描かれているなと感じた。
R-15になるようなシーン自体はそんなに長くはないが、なんというか、すごく「生肉」という感じの描写もあった。
そういう描写が苦手な人は気をつけてね…と思った。
(3)知識が足りない
ヨーロッパ系の人同士が戦う作品を見るといつも混乱するが、この映画でもやはり途中で誰がどこの国の人なのかよくわからなくておや?と思うことが多々あった。
ナチスドイツは見た目(制服)が特徴的なのでわかったが、他の軍服の人や普段着の人はわからなかった。
言葉を聞き分けられればわかるのだろうか。うーむ。
副音声で解説を流しながら見たい。
ポーランド人とウクライナ人の対立に注目して書いたが、作中にはソ連、ナチスドイツ、ユダヤ人に関する描写もあり、それらが複雑に絡み合って民族相互虐殺へとつながっていく様が描かれている。
ここからはネタバレとか気にせず考えたことを書こうと思う。
↓
↓
↓
↓
(1)どのシーンとどのシーンが重ねられているのかを意識して見たい
この映画をもう一度見る機会があったら、冒頭の結婚式で誰が何をしていたのかをしっかり確認してから虐殺シーンを見たい。
たぶん、虐殺シーンの描写が結婚式のイベントひとつひとつをなぞっている、というか、重ね合わせているんだよな。
それによって隣人同士で殺し合うことの恐ろしさを際立たせているのだと思うので、しっかり確認しながら見てみたい。
(2)ボーダーライン周辺にいる者
最も記憶に残ったシーンは、主人公の姉とその夫が殺されるシーンだ。
主人公の姉はポーランド人で、ウクライナ人と結婚した(冒頭の結婚式はこの二人のものだ)。
民族主義の気運が高まり対立が強まったことで、夫は兄から嫁を殺せと迫られ、反発して兄を殺す。
しかし夫は復讐に燃えるポーランド人たちに殺され、主人公の姉も、ウクライナ人に嫁いだという理由で殺されてしまうのだった。
ボーダーライン周辺にいる者は、対立する各陣営からどちらか一方であることを求められたり、あるいはどちらでもないと見なされたり、またあるいは「あちら側」だと見なされたりしてしまう。
二重国籍、9.11後のアメリカ、Xジェンダー、選択的夫婦別姓など、様々なことが脳裏をよぎった。
(3)彼女は生きているのか?
主人公は生き延びたのだろうか?
私は死んでしまったのかなと思ったが、どうだろう。
荷馬車の青年に発見される直前、森で横になっているシーンで虫の羽音がしたこと(作中羽音がしたのは虐殺後の死体だらけシーンとここだけだったような気がする)、あんなに大切に抱きかかえていた子供が一人で歩き回っていてもまったく気にしていないこと、瞬きをしていないこと、子供と青年は光に向かっていて肌も髪もみずみずしく笑顔であるのに対し、主人公はパサパサのカサカサで茫然として動かないことなどから、もしかして死んでしまったのかなと思った。
しかしやはり、生きて幸せになってほしいという気持ちはある。
他の人はどう思っただろうか。
この世のどこかに仲間(?)がいるかもしれない
今まで出会ったことがないから自分だけかもしれないと思っていたけどなんとなく近い人はいるのかもしれないと思ってちょっと安心した話。
11/7のまきむぅのcakes↓
男性が憎いのに、自分に男性器が生えているところを想像してしまう|ハッピーエンドに殺されない|牧村朝子|cakes(ケイクス)
(今だけ無料公開中とのことなのでそのうち読めなくなると思うけど一応)
この相談内容を読んでちょっと驚いてしまった。
相談者の恋人(女性)が、
・セックス中に自身にち○こが生えているところを想像する
・想像上の自身のち○こを相手に挿入したいと思う
・それを屈辱的だと感じる
ということだったからだ。
実は私もなんとなく似たような節がある。
私のことについては以下にツイートを引用する。
自分が当事者として行うセックスをすっっっごく頑張って想像すると、男性(全裸)に自分(キッチリ服着てる)が挿入(しかし男性器が生えているわけでも道具を使っているわけでもなさそう)…というモンヤリとした像しか結べないんだけど、似たような人はいますかねー。— モグラ (@mog_3o3) 2018年11月11日
そういえばこれ、はじめは自分が当事者として行うセックスの図を想像できなかったんだよな。したことはあるのに不思議だなと思う。すっっっごく頑張って想像したので、せっかくだし覚えておくことにしたのだった。— モグラ (@mog_3o3) 2018年11月11日
しかしこのとき想像する相手の男性がどうも、ちょっと前に多く見かけた「白ハゲ」っぽい姿なのがこう…— モグラ (@mog_3o3) 2018年11月11日
という感じだ。
私の場合についてまとめてみる。
・当初自分が当事者としてセックスする図が想像できなかった(頑張って想像したらできた)
・私が相手に挿入
・相手は全裸男性(相手の姿はよくわからない)
・私は女体
・私は着衣というかキッチリ着込んでいる
・私にち○こは生えていないが道具も使ってなさそう
だいたいこんな感じだ。
当事者として行うセックスをなかなか想像できなかった原因はなんとなく想像がついている。
私は性交にマウンティングという一面を見出している。
とにかく「性交=マウンティング」というイメージが強い。
もちろん他にも様々な面があることは認識している。
しかし、理性ではない部分に「性交=マウンティング」という構図が強く強く刷り込まれてしまっている。と思う。
さらに、この世では男性が女性にち○こを挿入するのが一般的なセックスであるという考えが広く流布している、ということもわかっている。
ということは、現在身体が女性である私は、男性とセックスする場合にはマウンティングされていると感じることになる確率がきわめて高いということになる。
好き好んで女性に生まれたわけではないにも関わらずである。
そして、私は過去のセックスを「あれはマウンティングだったのだ」と思っているし、そのことに対して怒りを持ってもいる。
以上のことを想像に反映させそうだ、ということを無意識に察知して想像しないようにしていたのかもしれない。
いやわからんけど。
他にも、そもそもセックスしたいと思っていないことや、当事者として経験してすら他人事のように感じられたことなど、いろいろな要素が絡んでいるだろうなあとは思う。
(あとはなぜ相手が男性なのかは気になっている…私はアロマンティック該当者だがどちらかといえば女性が好きなのに)
(恋愛の「好き」じゃないです)
(ヘテロノーマティヴみたいなものかもしれない…わからんけど)
よくまとまらないけどこんな感じだった。
アッ 私はアロマンティックに該当するとは思っているけどアロマンティックセクシャルに該当するかどうかはちょっとわからんな…という感じです。
他者とセックスしたいと思っているわけではないので。
サンマの心臓
近頃はずいぶん涼しくなって、ひと頃の暑さが嘘のようだ。
もうすっかり秋である。
秋といえばサンマである。
久々にサンマをさばいたら心臓が出てきた。
いや毎度出てるはずだから心臓に気づいたと言うべきか。
とにかく心臓に目がいった。
魚をさばくのは私の百八つある趣味のうちのひとつだが、
ハラキリして内臓全部出せばOK!簡単!
せっかくさばくのだから、
心臓は形などを確認して写真を撮ってから他の内臓とともに処分した(とっておきたいが方法がわからん)
そういえば、食事中ずっと気になっていたことがある。
サンマのしっぽはトンボの羽に似ている。