愛とは何か

鬱ポエムを最後に2年弱放置してるとさすがにこの人もう生きてなさそう感が強すぎるな……と思ったのでTwitterのログなど載せてみるよ。
2019/07/05のツイートっぽい。
誤字あるけどとりあえずそのまま。

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愛とは引き止めること、という情報に触れた。よくわからないが、行くな、側にいろというものが愛であると、そう解釈しているのだろうか。

愛とは抽象概念だ。具体性がない。だから人によって解釈が異なる。恋もそうだ。だから私はそれらを理解できない。人によって異なる解釈をしている、異なるイメージを抱いている、というところまでしか理解できない。

私の母親は私に対して愛を持っていると思っていただろう。元友人も我々の間には愛があると思っていただろう。
しかし私は愛など感じなかった。彼らの愛についての解釈と私の愛についての解釈の間には大きな隔たりがあったのだろう。

私にとって愛とはなんだろう。考えたこともない。考えたこともないが、なんとなく、自由であれと願うことのような気がする。健やかであれと願うことのような気がする。

行くなとも行けとも思わず、ただ自由であれ、健やかであれと願うことが愛であるように思う。もしも私に対してなにがしかの愛を感じる者がいるならばただそれらを願ってほしいし、私が誰かに対してなにがしかの愛を感じたならば、願うこてはそれしかないように思う。

私に愛の姿をした支配を向けた母親と暴力を向けた元友人に対して、二度と関わり合いになりたくない気持ちが圧倒的に強い今ですら、心の片隅では、いつか自由になれることや健やかであることを願っている。ただそれは必ずしも愛であるとは限らないようにも思う。

かれらがかれらを抑圧するものから自由になるためには、そして支配欲と暴力的欲求から自由になるためには、過去に自らがしてきたことと向き合わねばならないはずだ。

自分は正しいと信じ込むことで自らの支配欲や暴力的欲求を肯定している者が自分の過去の行いと真っ向から向き合うには胸掻きむしるような苦痛が伴うこともあるはずだ。私はそうだった。

かれらに加害されて傷ついた私は結局、かれらに自らの行いと向き合って胸掻きむしってほしい、苦痛を味わってほしいと望んでいるだけなのではないかと疑っている。それは報復であって愛ではないだろう。

私もかれらとたいして変わらないのだろうかと思う。

(夜中2時頃に書いたものらしい)