ポーランド映画『ヴォウィン』を見た

 

先日ポーランド映画祭に行ってきた。
今年はポーランドが独立を回復してから100周年ということで、「名作映画から見るポーランド史」とというテーマのラインナップだった。
戦争の話を避けて近代史は語れないと考えているので、とにかく戦争関係のものをと思い『ヴォウィン』を見ることにした。
内容は、一言で言えば「民族相互虐殺」だ。
主にポーランド人とウクライナ人が互いに残虐な方法を用いて殺し合う。
ヴォウィンというのは、第一次世界大戦終結に伴って独立したポーランドに組み込まれた土地だそうだ。
元はウクライナ人農民が多く住んでいたため民族間の対立が強まり、民族主義的な気運が高まっている…という状況から映画は始まる。

 

以下しばらくネタバレなしの感想を書き連ねてみる。

 

(1)人間こわい

不穏な空気をはらみつつもまだ平和だった頃、幸せそうで皆はしゃいでいる結婚式の描写が、ラストの虐殺に次々と重ねられていく様は、平和と虐殺、幸福と不幸とのギャップを際立たせると同時に、平和も幸福も紙一重の危ういバランスの上に成り立っているのだという緊張を感じさせる。
冒頭の結婚式では皆で一枚の写真におさまった顔なじみの隣人同士で殺し合う、しかもあんなに残虐な方法で…と思うと、戦争こわいとか民族主義こわいとかよりも「人間こわい」と思った。
それから、私は自分が多重マイノリティだという自覚があるので、私もこんなふうに排除されることにならないとも限らないんだよな、と思ってうすら寒い気持ちになった。
同時に、もしも自分が同じ状況に置かれたらどうだろう、とも思った。
報復合戦に参加して残虐行為を働かないと言い切れるだろうか……

 

(2)虐殺シーンについて

虐殺シーンについては、戦争映画を見慣れているので平気だろうと思っていたが、ウワッと思うようなかなり残虐な殺し方が描かれているなと感じた。
R-15になるようなシーン自体はそんなに長くはないが、なんというか、すごく「生肉」という感じの描写もあった。
そういう描写が苦手な人は気をつけてね…と思った。

 

(3)知識が足りない

ヨーロッパ系の人同士が戦う作品を見るといつも混乱するが、この映画でもやはり途中で誰がどこの国の人なのかよくわからなくておや?と思うことが多々あった。
ナチスドイツは見た目(制服)が特徴的なのでわかったが、他の軍服の人や普段着の人はわからなかった。

言葉を聞き分けられればわかるのだろうか。うーむ。
副音声で解説を流しながら見たい。

 

ポーランド人とウクライナ人の対立に注目して書いたが、作中にはソ連ナチスドイツ、ユダヤ人に関する描写もあり、それらが複雑に絡み合って民族相互虐殺へとつながっていく様が描かれている。

 


ここからはネタバレとか気にせず考えたことを書こうと思う。

 


 

 

 

 


 

 

 

 (1)どのシーンとどのシーンが重ねられているのかを意識して見たい

この映画をもう一度見る機会があったら、冒頭の結婚式で誰が何をしていたのかをしっかり確認してから虐殺シーンを見たい。
たぶん、虐殺シーンの描写が結婚式のイベントひとつひとつをなぞっている、というか、重ね合わせているんだよな。
それによって隣人同士で殺し合うことの恐ろしさを際立たせているのだと思うので、しっかり確認しながら見てみたい。

 

(2)ボーダーライン周辺にいる者

最も記憶に残ったシーンは、主人公の姉とその夫が殺されるシーンだ。
主人公の姉はポーランド人で、ウクライナ人と結婚した(冒頭の結婚式はこの二人のものだ)。
民族主義の気運が高まり対立が強まったことで、夫は兄から嫁を殺せと迫られ、反発して兄を殺す。
しかし夫は復讐に燃えるポーランド人たちに殺され、主人公の姉も、ウクライナ人に嫁いだという理由で殺されてしまうのだった。
ボーダーライン周辺にいる者は、対立する各陣営からどちらか一方であることを求められたり、あるいはどちらでもないと見なされたり、またあるいは「あちら側」だと見なされたりしてしまう。
二重国籍、9.11後のアメリカ、Xジェンダー、選択的夫婦別姓など、様々なことが脳裏をよぎった。

 

(3)彼女は生きているのか?

主人公は生き延びたのだろうか?
私は死んでしまったのかなと思ったが、どうだろう。
荷馬車の青年に発見される直前、森で横になっているシーンで虫の羽音がしたこと(作中羽音がしたのは虐殺後の死体だらけシーンとここだけだったような気がする)、あんなに大切に抱きかかえていた子供が一人で歩き回っていてもまったく気にしていないこと、瞬きをしていないこと、子供と青年は光に向かっていて肌も髪もみずみずしく笑顔であるのに対し、主人公はパサパサのカサカサで茫然として動かないことなどから、もしかして死んでしまったのかなと思った。
しかしやはり、生きて幸せになってほしいという気持ちはある。
他の人はどう思っただろうか。